昭和44年04月22日 朝の御理解



 御理解 第85節
 「女の身の上、月役妊娠、つわりに腹痛まず、腹帯をせずして、産前身軽く、隣知らずの安産。産後よかり物、団子汁をせず、生まれた子に五香いらず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛血の道、虫気なし。不浄毒断ちなし。平日のとおり。」

 今でもそうでしょうけれども、百十年も前の時代に、こう云う事を教えておられると云う事は、是は大変な事だと思うですね。実際にそう云う事が出来るだろうか、とても出来るもんかと言った様な感じが致します。是は今の時代でもそうです産前身軽くとか。隣知らずの安産とか。勿論妊娠のおかげを頂いてつわりもないと言うのですから、しかも生まれた子には、もうすぐ母親に乳を飲ませとこう仰っておられる。
 そう言う風にして行けばですね、生まれた子に虫けなしと仰る。不浄毒断ち更になし。いわゆる平日の通り。もう実に大胆極まる御教えだと思うですね。けれども是を、本当に教祖様が仰る通りだなと言う風に、ならおかげを受けた者は、また信心を頂いておっても大変に少ない訳。本当にこう言う様に教祖様が教えて下さる事を、教祖様が仰る通りだと言う風に、その頂かせて頂ける所に、所謂信心というね。
 所謂信ずる心という物がいよいよ強うなって来る訳です。教祖様はああ仰っておられるけれども、そんな訳にはいかん。やっぱ長年の経験と言うか、その仕来りと言うか。それが言われておるから、言われておる通りにせにゃいけんと言うたんでは、そういう隣知らずの安産と言う様なおかげは頂かれん。まあ、是は私はどこの事ですか、その、まあ勿論、妊産婦、女の婦人の上に下さった御教えでしょうけれども。
 この事をですね、私自身のおかげの事について思うて見るのに、確かにですね、難儀と感じ、難儀と皆が思うておる、そして何時の間におかげを受けたか分からない様に、その境目がないぐらいにですね、おかげを受けておると言う事実から思うて見て、ははぁ、合楽の信心こそ隣知らずのおかげを受けて来たんだと思います。何時の間に、いわゆる椛目の時代ですよね。
 私共がその何時、おかげを受けて来たか分からない。しかもそのおかげが段々なら一年勝り言うならばこうしておかげを日勝り、月勝りにおかげを受けておる。そこでならこの御教えからですね、私は例えば是は婦人とか妊産婦だけではなくてこの通りの道理。道理が私共の様々な生活と、いわゆるおかげが、本当の意味においてのおかげを生みなして行く。おかげが次々と生み成されて来る。そのおかげを生み成されて来る、と云う事の上においてもです、同じ事が言えるんだとそんな道理だと私は思うんです。
 本当に隣知らずのおかげ。何時の間にこの様なおかげを、受けて来たであろうかと、思われる様なおかげを一つ頂きたい。それだんじゃない、産前身軽くとこう言うておられる。おかげを頂く前には、必ずそこに一つの試練がある、難儀がある、修行がある。その修行の向こうにおかげを受ける、お徳を受けるという、言うならそういう天地にはシステムがある。そういう法則じゃ。
 昨日、ある方がお参りされた。本当に先生、先日御大祭にはもうご無礼致しました。親子の者がもう、用事があってお参りが出けなくて。酒屋さんをしておられます。ですから、まあ日曜という時には、よけい酒が出るとこう言う。娘は娘で、お茶の稽古に行きよりまして、もうお茶の稽古も昨日は何か、その大祭の日は特別な事があっておった。それで、お茶の先生に、実は丁度、以前は16日でしたから良かったですけれども、今度は20日に変わりました。
 ちょうど、お茶のそういう特別な何か会合がある。それと指し合わせますから合楽にお参りさせて頂きましたら、お茶の方は又出来る事だから。大祭というのはまたない事じゃからおかげを受けたら、アンタおかげ頂いてからない命を助かって、助けて頂いとるとじゃから、大祭の方へおかげ頂かにゃいかんよて先生が仰ったから、そうしますからと言うてそのお茶の先生に言うた所、お茶の先生が大変厳しく怒られた。
 私はあんたにもう、本当にもう、そん人は婚期を逸して、もう30過ぎでしょうか。まだその、だからもう一人身ででも立って行けれる。もうお茶一本ででも生活が出来る様に、私の知っておる全ての事を、アンタに教えようと思いよるとにアンタ、神様のこつどん言うちからち言うて怒られたらしい。それでとうとう先生、ご無礼してから、お茶の方に参りましてから親子共々その、ご無礼してと言うて昨日お参りして見えたんです。はあ、それは残念でしたねと言うて、まあ申しました事ですけれども。皆さん此処ん所をですね、一つ分からにゃいかんと、こう思うです。
 そのお茶の先生という方が、ここで羽田野さんが今おけいこに通うておられます、その方です先生が。それでもう、何か80幾つになられたし、まあかくしゃくとしておられるそうですけれども、あのほんに一人身です。それも小さい部屋を借りて、お茶はもうそれこそ、やっぱ達人らしいですね。けれどもその、そういう例えば、なるほどお茶で立っては行きよりなさるばってん、それこそ寂しい、寂しい立ち方だろう、その生業をなりわいというものがです。
 その生きられ方というものがです、子供さんがおられたが、頑固だからと言うので、もうその寄り付かれない。本当にお婆さんが一人。ですから、まあお茶のお弟子さん達が、子供さんの様な風に、そのお弟子さんを、まぁそして一生懸命打ち込んで行きよりなさるらしいですけれどもです。お茶一本で立てれると云うことも有り難いけれども、その向こうにはですね、本当にあの、おかげになる、本当の幸せになれれるもの。それをまず頂いておかにゃいけん。
 そうしてお茶であり、商売である。酒屋っていう商売ですから日曜が忙しい。だから酒屋で立たんならんから、けれどもです。酒屋でその、おかげ頂かんならんけれども、お茶でおかげを頂かんならんけれどもです。それだけではね人間の幸せはないて。不浄毒断ちなし、平日の通りと言った様なおかげが受けられん。何時もずうっと有り難いで過ごして行けれる事が出来んて。
 そこへ信心を頂かせてもろうて、酒屋が繁盛し、信心を本当に本心の上に頂いておって、そしてお茶の体得が出けて、お茶の先生、例えば先生になるも良かろうけれども、そして、私はおかげを受けて行かなければ、その寂しい、寂しい事になってしまう。本当にその辺の所をね、一つよく分からにゃいかんですよ。いわゆる、理詰め人間の考えではおかげにはならんて。
 例えて申しますと、私共が終戦もう間近ですね。もう内地に帰ってこうなんて全然思うてもいなかった。まあ年に一回か二回か帰らせて頂いてとにかくもう北京に永住したいという気持でしたから、お金なんかも送っていない。所がどうもその内地の方が大変窮屈になって来戦争も是はどうなるやら分からんち言う様な状態になって来た。そこで少し私が慌て出しましてから、あちらからそのお金を送りたいとこう思うて。
 ところがどっこい、もうそのお金を思う様には送られない。それをもう誰かの名前を借ってから、それでも矢張り、お金を少しでも送っとこうと思うて、内地にお金を、まあ送らせて頂いたんです。もうその時分母が言っておりました。もうあの時分、なら例えば戦争で厳しい事であったけども、もう本当にもう月に何回となしにその、お金を預け行くとが楽しみじゃったち言うぐらい。
 そこでその父と母との意見が対立したんですね。母はそのまあその家を買うたり、山を買うたり田やら畑やら買うときゃ、買うとけとこういう訳なんです。父はお前はこげなお前戦争、何時焼けるやら分からん、そげん家買うたりそげなこつよりか、もう金さえ貯めときゃええ。それもあれの名前で、私の名前で預けとくが一番良かち言うて、私の名前でずっと銀行に入れてあった。
 考えて見ますとですね、本当にその、例えばあの時に山やら家やら屋敷やら買うてやっとったらですね、私、現在の道は開けとらんですよ。はぁ、あん時におじいちゃんが買うときなさりゃ、もうこげな苦労はせんでよか。成程、こげな苦労はせんで良かっとろうけれども、今日の様なおかげは受けとらんです。私共が引き揚げて帰って来た、お金は全部封鎖。それでも矢張り、私名前、私名義のその預金があったから、月々わずかじゃあるけども、ずっと引き出す事が出来たんです。
 内地におった人は引き出されないけれども、私は外地引き揚げ者というのでずっと月々、まあ最低の生活費を引き出す事が出来た。私は問題はですね、それこそ山吹の話じゃないけども、花が咲いただけじゃいかんです。山吹の花が咲いただけで実が実らんと言った様な生き方じゃいかん。どんなに仕事を覚えてもです、どんなに素晴らしい商売を繁盛のおかげを頂いてもです、それが、もう実らなければ駄目。
 例えばさっきどんなに、ならお茶の先生に、ならお茶の上達しましてもです。そのお茶で只生活の足しになっただけじゃ詰らんて。そのお茶の先生になった事が、言うならば立身出生の元になった、幸せの元になったという風に実らなければ。ほれで私、丁度善導寺の久保山さんがその前にお届けしておられて、久保山先生の兄さんに当たります方ですね、小松さんその方が今東京におられます。現在は四国の娘さんの所にお出でられとると云う事で御座いますが。最近その、お婆ちゃまが亡くなられた。
 それこそ、久保山さんの言われるのに、兄から手紙を受けた、いわゆるご主人の兄さんですね、から、手紙をもろうたのが、是が二度目と言う程に、まあ手紙を貰った事もないけれども、その程度の私にです、こういう切々たる手紙をよこしておりますと。もう80にもなって、子供はおるけれども、子供もあんまり当てにならん様な感じ。それこそ地位と言い名誉と言い、もうそれこそ九州きっての成功者として新聞。
 その報道するくらいな中にその10人あまりの、九州の成功者の中に入っておられる位の方なんですよね、小松さんそれこそ何不自由もないしかも考えて見ると80幾つまでも連れそうた、その連れ合いが亡くなられたのですからまあそれは寂しい事は寂しいけれども、その大変そう悲しむ悲しい事でもあろうけどもあの実を言うたら大変お礼を言いなさらにゃならんと思う。何十年間も連れそうて来とりなさるとですけんね。
 ところがその、亡くなっただけではなくて、自分のもう言うならばその、自分の終着駅が、もうそこに見えて来た感じですよね、80にもなると。そん時の寂しさと言うか、家内を亡くされた寂しさと、それと是とが一つになって、もう寂しゅうてたまらん、それこそ、大してそのまあ手紙をやったり、取ったりする程しの中ではない兄弟の、家内にです。そういう風に切々とその、何かを、訴えておられる様にその、手紙をよこしておられると言う事がです。
 本当に私はその手紙を貰い、読ませて頂いてから本当に声を上げて泣きたい思いがした。それで私、その今私が申しますその、娘がお茶に、自分は酒屋をしておるという、その方が参って来たから、その話をさせて頂いたんです。ただ信心もしておると言うだけじゃいかんて。いよいよの時にその神様が、成程悲しい又は寂しい、苦しい事だけれどもね、腹の底には有り難いというものがなからにゃいかん。
 そういう信心を頂いておかなきゃいけないと。その、小松さんが手紙を、色々書いておられます最後に、その自分の心境を詩に呼んでおられるとを書いてあった。山吹の芽を吹く春になりぬれど、俗名に魅しわが妻はなしと、最後にこの詩で結んでありました、唯、妻を無くしたという、その寂しさとか悲しさだけじゃないんです。もう自分自身が娘の嫁入り先であるとこの、四国の方辺りまでもお出でておられると云う事。
 そこに本当にその、より所と言うものが人間であると云う事、子供であると云う事。そこに、私問題があると思うです。より所を持たない、とにかく地位、名声を博せられた方、いわば中央の成功者の一人と言われる程しの方。ですから、他には言い分、申し分はないんだけれども、心の上にそういう大きな穴が開いた様な寂しさがある。年をとって行けば、行く程に有難うなって行き。
 年をとって行きゃ、年とって行くごとに有り難い。それこそ死に際にも神様にお礼を申させてもらい、死に際にも願い、願われる様な信心を頂いて行くと云う様なものがなかった。ほれで私がその方にですね。お店が忙しいから、さあそのお茶の方も大事じゃけれども、お茶の方に行くと言ったようなことでは、そういう信心は生まれないと。と言うてその、お話したことです。自分もそれを、本当に、私共の様な信心ではお話頂けば頂くほどいけんと思いますと。
 本当にあの、その方の兄弟が熱心にここで信心致しますから、もうあの人達はもう本当に、あげな事でよかじゃろうかと。いわゆる金光様に惚けてしもうちから、と云う様なもので御座いますけれどもです。そのやっぱそれの方がおかげを受けて行きよる事実がある。そりゃ本当に私共も考え直さにゃいけませんち言うてから本人が言うておりましたがね。そう言う所がですね、私はその分からせて頂かなければね。
 普通の常識じゃない所謂まあその時代に妊娠、になった人が腹帯をせんでも良いとか、毒断ちの日とか。あんな物食べちゃならんとかこんな物はこうしたらいかんとかと言う事はないと。しかも産前に身軽くと言う事とにかくその産前身軽くという、私はおかげを頂く。そこでその先程から私が申しております私自身の事でもそうです。成程考えて見ますと大変な難儀な中にありましたけれどもね。
 どんな難儀な中にあっても私の場合その、もう苦しいけれども、有り難いというものがいつも伴うておった。そういう信心であってこそ、初めて、何時こういうおかげになって来たか分からぬ、けじめが無いぐらいに、何時とはなしに段々こうやっておかげを受けて来た。そういう信心を一つ、お互い身につけて行きたいとこう思う。昨日高芝さん〔  〕お参りになるが奥さんなここでお届けされるんです。
 先生先日今田主丸の方と両方へだいたい掛け持ちで両方にいわばその、田主丸の方に家業を持っておられると言うて御親戚のほうも見て行かんならんと言うのでまああちらの方へ、だからいわばシャンソンへ営業所と言うのが、吉井の方の営業所に変わらなんような状態にある訳です。けれども田主丸の方にも時々お掃除行ったり、何かせなならんからあちらへ参りまして誰もおらん中にですねまあ色々その考えた。
 合楽におかげを頂いてもう所謂20年近くの間を、もうそれこそ思うておるともうずうっとそれこそ自分の心の中に、もう走馬灯のようにそのおかげを受けてきた過去というものを思い出させてもろうて。何時の場合でも親先生任せ、親先生任せ、親先生が仰るからと言うて来たけれども、その親先生任せと云う事の、難しかった事に驚いてしまう程であったと。現在取り組んでおるこの問題も、親先生任せにゃなっておるけれども、難しい事だなあとこう言う。
 まあ、一つの問題でも、何の問題でも、親先生はまあ待て、まあ待て。長引きゃ長引く程おかげてんなんてん言いなさるばってん、神様任せ、親先生任せになっておる事も辛い事だと。けれども、なら十何年間振り返って来て見て、おかげを受けて来ておる事実があるから、この事も任せ。もう本当に、18年間ですかね。ずっとおかげを受けて来た事を手帳にずっと書いて見た。
 書きよったら、そのおかげの事を思うたら、もう声上げてワンワン泣きましたと、こう言うておられる。そう言う様な事がです、言わば周囲から見ると、なんちゃ神様、なんちゃ椛目、合楽ばっかり言うちからと、言う風な見方をされて来たんだけれども、矢張り椛目なしには、合楽なしには生きて来られなかった、立ち行かなかった自分だというものを、思うてです。思い思うて、そこに声上げて泣きたい様な衝動を感じたと。
 けたたましゅう、その時電話がなって来た。お父さんからであった。その問題にしておった問題が、こう言う様なそれこそ夢にも思わない様な条件、好都合なお繰り合わせの中に、しかも向こうの方から、こういうおかげになって来たぞという電話であった。もう本当にですね、親先生任せ神様任せじゃいかにも、簡単な様であるけれどもです、なら中々きやすい見やすいものじゃなかったと。
 けれども矢張り、この様なおかげを、是からもこの調子でおかげを受けて行くに違いないけれども、だからそこんねきに、例えば親先生任せになっておる事が、難しいという思い方がですね、本当にそれが一番楽だという、思い方が出けて来る所にです、平日の通りというおかげになって来るのじゃないでしょうか。矢張り体験です。繰り返し繰り返し、親先生任せになると、神様任せになると云う事を稽古して、いよいよのもの、確信出けれるものが出けた時に。
 どの様な事があっても、親先生は何と仰るですかと。親先生が仰る通りしときゃ間違いないですよと、昨日もそうでした、その大祭の日でした。久富先生所の一番下の子供が高校入試の時に。この学校に試験受ける様にて頂いたけども、そこに受けなかった他の所に。他の所に行く積りで受けたけど全部出来なかった。それで、御神意を頂いたら、浪人したらええと云う事じゃった。
 さあ所が家で家内やらが気違いのごとなってから、そげな事がどうして出くるですか。あぁお父さんがぐずぐずしとるから、福岡辺のまあ小さい高校でもええから、どうかして入れなきゃち言うちからもう、気違いのごとなる。だからもうどんこん。私は手が負えられん。親先生は浪人したらええて言われるのに、そんなに言わば神様任せ、親先生任せ程、難しいんですよ矢張り。
 皆が信心があるのだけれども、その久富先生は任せきろうと思うけれども、家内の方が気違いのごとなる。ほんならお前どんが良かごとすりゃ良かたいち言うて、言わば福岡の方へ沢山のお金を出して入学する事になったんです。そしたら大祭あの何ち言うですか。あの大祭の日にですねあの受験しとった南筑高校の方から入学通知が来た。ほんなこてもう馬鹿んごたる話。
 何万円ち言うちから、入学金が一万五千円。本がやっぱ7~8千円。定期券が何て千円、何万という金をいらん事に使うた。そしてほうら見てみれと、まぁ言うておられる訳ですよね、その久富先生が。けどもやっぱり、もう見やすい事じゃないけれども、なら久富先生だけの信心を頂いとりゃ見やすい訳でしょうが。親先生がああ仰るから、神様の御都合に違いはないと思えればいいけれどもです、それは思えれるまでには、矢張り繰り返し、繰り返し任せてみて、おかげを受けて来とらなければ出来る事じゃない。
 中々平日の通りと云う事は。それにはです、例えばです、こういう時にこういう物を食べちゃならんとか、食べて良いとかと。言わば普通常識で言うなら、食べちゃならんがほんな事ちゃけれどもです、神様のおかげで頂かせて貰おうという、言うならば常識では考えられない様な所でもです、平気で通らせて頂けれるおかげ。それが私は産前身軽くだと思う。産前にああしちゃいかん、こうしちゃいかん。
 あれは食べちゃいかんと言う所に難しさがある。けれども、何しても良い、何食べても良いと言う所に、産前身軽いじゃないですか。問題がない。おかげがまだ生みなされておらん前でも、親先生任せと云う事が、本当に信じられるならばですね、その難しさ、難しいと云う事からもういっちょ、もう、任せきっときゃええがのと、言えれる所まで信心を進めておかなければ、平日の通りというおかげにならん。
 そういうおかげを頂いてです、初めて私は、何時生まれたやら、いわゆる隣知らずの安産、何時おかげになって行くのやら分からないおかげが受けられる。しかもこの生き方なら、山吹の話じゃない、もう絶対花も咲くだろう、実も稔るだろうというおかげが受けられる。これなら徳にならん筈がないて。それには商売の方を先に立てるとか、是で飯を食べんならんから、信心より過去の方が大事だと言った様な生き方からは。
 そういう任せきった、任せきらない生き方からは、いくら信心しよったっちゃおかげにはならん。いわゆる、金光様の御信心はどこまでも、お徳を受ける為には常識的なものではいけない。常識から言やあ、それこそ山を買うとったが良かろう、家を買うとったが良かったろうけれどもです、もしそうであったら、現在の実りというものは合楽にはなかったて。常識から離れた事であった事のおかげで。
難儀はあったけれどもその難儀の中に有り難い信心を頂いて行っておったおかげでです、今日の合楽がある様なおかげになっておる様にですね。ですから信心させて頂くならそこまで一つ、おかげを頂いて行かないと。どの様な場合でも親先生任せになっときゃあ安心だと思えれる様な、例えば高芝さんの場合で言うなら、十何年間、親先生任せになっときゃおかげになるがのと、人にも言い、自分も思うとるけれども。
 実際なる時にはきつい事であったと言うのである。今も今とてこの問題がです、親先生がああ仰るから。長引きゃ長引く程おかげばい、高芝さんと言われるから。まあ長引いて待っとるけれど、もう待ちきれん程なっとるっちゃもん、苦しい訳です。そこんところを、もう一段信心を進めてです、こういう機会に高芝さんが、ほんなこてお父さん、親先生任せになっときゃ良かですねえ。と。
 云う事になった時に平日の通りなんです。そこに隣知らずなおかげ安産のおかげ。何時生まれたやら何時こういうおかげが、財産が出けたやら分からん様にして出来ていく財産じゃなかにゃ、ほんなもんじゃなかて。自分の理詰めで子供の為に将来の為にと言うて、貯め上げた財産がおかげ頂くはずがなか。それは是は食べちゃいかんならんと言うて、大祭の方を放からかして、お茶の稽古に行く様なものだと私は思うんです。
 お茶の方は体得が出来よう財産の方は出来ようけれども、それでは幸せにはなれないて。それこそ80になり言わば人間の言わば最後の終着駅が近づいて来るに従ってです、寂しゅうて悲しゅうてと云う事になる。どこに縋りようもない様な、私は晩年であってはいけない。年をとって行けば行く程に有難い、年をとって行けば行く程に、安心が開けて来ると言う様な信心を頂いとかにゃいけんと思うね、
   どうぞ。